皆さん、”へき地教育” という言葉をご存じですか?
田舎過ぎる学校のハンディキャップを補うため、制度的に色々対策してくれているものだと思います。
その対象校は非公開になっているため、暴露してよいのかどうかわかりませんが、暴露しなくても自明のようにも思いますが、私が通っていた小中学校はへき地教育指定校でした。
大変ありがたいことだとは思うのですが、子供的には恩恵の程がよくわかりません。
その一方で、”へき地、へき地” と連呼され、何やら劣等感だけが刷り込まれてた感じもします。
しかし上には上がいました。 そんなへき地の小学校にもっとへき地の子ども達がやって来たのです。 運動会の時です。
それは ”谷道” と言う学校でした。 人数が少ないので運動会が出来なかったらしいです。 しかもその学校は私たちの学校の分校だとか。
分校? こんなへき地の学校に? へき地ofへき地です。 下には下がいるものです。
しかし不思議なことに、下とは思いませんでした。 むしろ逆。 リスペクトです。
実は私は祖谷を特別な存在と思っていたようです。 誇りにすら思ってたのかも知れません。 そして、その上を行くこの分校に謎めいた敬意と魅力を感じます。
私は家に帰ってさっそく親に質問します。 「谷道って言うとこの子どもが来た」、「谷道ってどんなとこ?」
しかし明確な答えは返ってきません。 大変な山奥であること、自然が一杯あること、林業で成り立っている事、そんな断片的な情報だけでした。
何となく煮え切らない感情を抱いたまま、その場はそれで鉾を収めました。
谷道の名は魚釣りでもよく出てきました。
祖谷は渓流釣りのメッカ。 当然子供はみな魚釣りに挑戦します。
私もやりました。 しかし釣果をあげたことはなく、いつもトボトボ帰っていました。 そんな時にすれ違う大人が必ず言います。 「谷道に行たらええのに?」、「何で谷道へ行かんの?」。
何やらそこは釣りの楽園とか。 渓流の女王 ”アメゴ(アマゴ)” が入れ食いらしいです。 そんな夢のような話だけを訊かされます。
しかし、「どうやったら行けるのか?」と聞くと、言葉を濁し始めます。 「がいに遠い(大変遠い)」、「子供には無理」。 及び腰の回答が返ってきます。
まただ。 うちの親と同じだ。 納得のいかない大人の対応に益々谷道への好奇心が湧きたちます。
しかし、結局、その地を訪れる機会がないまま、私は中学を卒業して祖谷を離れます。

そして4年前。 Uターンして戻って来た私は祖谷の探求を始めます。 するとまたすぐに谷道伝説に出遭います。
祖谷街道(祖谷最初の幹線道路)は実は谷道から木材を切り出すために作られた、とか、
その頃はトロッコ列車が走っていた、とか、
銅山もあった、とか。。。
しかも、トロッコ列車の線路は今も残っており、銅山の跡も、とっくの昔に消滅した谷道集落や分校の跡も、行けばわかると言います。
行きたい! 衝動を抑えきれません。 そして調べます。 が、情報が全くありません。
例えば東祖谷山村誌。 960頁に及ぶ大作です。 しかし谷道の”た”の字もありません。 意図的? 大変不自然です。 益々なぞが深まります。
次に聞き込みを行います。 谷道によく商売で通っていたと言う人が教えてくれます。
「谷道への入り口は知っとるだろ? そこを進めば谷道川に出るんよ。 その川沿いの道を上って行ったら橋で出てきて、その先が広おなっとんよ。 そこが分校跡じゃわ」。
「ほなけんど、今は道が崩れとって行けんわ。 歩いてだったら行けるわ。 入り口から3キロくらいのところじゃわ」
なるほど、その程度か。 片道3km、往復6km。 それ位なら何でもない。 一本道で迷うこともなさそう。 私は単独で谷道探索を決行します。

Xデーが来ました。 私は谷道への分岐点に車を置いて歩きます。 幻の谷道に王手です。 1時間もしないうちに会えることでしょう。 私の胸は希望で膨らみます。
道は意外としっかりしています。 そして周りには手つかずの豊かな自然。 景色を写真に収めながらルンルン気分で進みます。
しかし行けども行けどもそれらしき跡はありません。 橋はありました。 広いところもありました。 しかし分校跡らしきものはありません。 既に3kmは優に超えています。
本当に今も残っているのだろうか? 心が淀み始めます。
もうちょっと行ってみよう、もう少しだけ行ってみよう。
しかし行けども行けども似た景色ばかり。 先程まで心打たれていた景色が迷宮へのまやかしに見え始めます。
どうしよう? これ以上行くと日没までに帰れなくなる。 日を改めるか? 折角ここまで来たのに?
葛藤します。 そして引き返すことを決意! う~ん、残念。 谷道。 いつまで私をじらすのでしょう?
途中、軽トラが止まっていました。 来るときにはありませんでした。 人は乗っていません。
しかしどうやって来たのでしょう? 途中に鍵のかかった柵がありました。
何となくそんなことなど考えながら軽トラをやり過ごします。 結構疲れました。 愛車はまだまだ先です。 憂鬱になります。
トボトボ歩いていると後ろから先ほどの軽トラがやってきます。 誰かはわかりません。 地元の人には間違いないようです。
きっと向こうも驚いた事でしょう。 こんなところを人が歩いている。 しかも一人。 訝しげに声をかけられます。
「こんなとこで何しよん?」、「乗って行かんかえ?」。
「ウォーキング、ウォーキング」、「ありがとう。ウォーキング中じゃきん歩くわ」。
私は元気なふりをして断ってしまいます。 乗るとあれこれ話をすることになります。 元気な振りも続けないといけません。 たぶん、それが億劫だったのだと思います。
そんな心持ちで軽トラを見送った私は再びトボトボ歩き始めます。
しかし、それにしても、どうしたものか。 八方ふさがりに陥った私は谷道のことはもうあきらめようか、などとも思ったりし始めます。
そして、それから4年。 ひょんなことから救世主に出会います。 谷道トロッコ列車について熱く語る人に出会ったのです。 線路跡どころかインクラインと呼ばれる車両移動設備*の名残りも見られると言います。
*線路が上下に分断されているところがあるらしい。何某かの方法でトロッコ列車を乗せ換えていたと模様。
「それ、連れていてくれんで」。 私が頼みます。
「ええよ。いつにする?」。 前のめりの回答が返ってきます。 齢80にはなるそのお方。 谷道に興味がある若い人を探していたようです(祖谷では60歳台までは若者)。
相思相愛の私たちはすぐに谷道訪問の日程を決めます。 いよいよ念願の谷道にご対面!です。 私同様、谷道に恋慕の情を抱くC子ちゃんとSとっちゃんも一緒です。
そしてとうとう谷道に到着。 想像を超えてました。 次号へ続く。。。

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