クイズ番組の難読漢字としてよく出題される”大歩危・小歩危”。 ”大股で歩いても危ない、小股で歩いても危ない” と言うのが名前の由来とされています。 実はこれは間違いです。
この説明は、昭和6年(1931年)、「日本地理大系 中国及四国篇」という本に、地元の人から聞いた話として掲載されたことを起源とします。 そして、某旅行誌で取り上げられたことで一気に広まったと聞いています。 すなわち94年前に誕生した俗説と言うことです。
では、本当の由来は何か? ホキとかホケは崖を意味する一般名詞だったらしく、崖が続くこの辺りはホケに修飾語を付けて呼ばれていたようです。
それがオオボケ、コボケであり、オオボケの隣にはアゼチボケが続きます。 それが名前の由来です。 まだ漢字が入ってきてない時代の話です。

崖の様子は大歩危峡の遊覧船に乗るとよく分かります。
国道32号線が通る斜面を注視して見てください。 国道をイメージで消し去り、国道ができる前の山の斜面を目でなぞってみましょう。 落差200mはあろうかという絶壁が続いていることがわかります。 昔はその絶壁の上に街道がありました。
遊覧船から見ても迫力満点の岩肌。 絶壁の上から見下ろすそれはさぞや怖い景色だったことでしょう。 大口をあけて待つ怪物にすら見えたかも知れません。 そんなものを下に見て歩く訳ですから、まさに歩くと危ないホケ(崖)ですね。
そして日本に漢字が伝来し、地名が漢字表記になった頃、めでたく大歩危・小歩危という字が充てがわれます。
大歩径・小歩径と書いた時代もあるようですが、これだと単に”歩く径”。 余りに平凡。 あまりに凡庸。 一気にインパクトが無くなります。
対して”大歩危・小歩危”はどうでしょう。
難読漢字で惹きつけ、景観で魅了し、最後は謎が解けて納得・満足して帰路についてもらえることでしょう。
最初に考えた人、本当に偉いです! 冒頭で紹介した俗説が通説のようになるのも頷けます。

さて、その大歩危・小歩危。 当初は尾根道、すなわち道の名前を指していたそうです。 現在は地名を指しています。
その地名としての大歩危・小歩危。 国道32号線を走っているとすぐわかります。 ”ここから大歩危峡”とか、”ここから小歩危峡”と言った看板が掛かっています。
その際、是非周りの景色にも注意してみてください。 この辺り、殆ど民家がないのです。 特に 大歩危には一軒の民家もありません(商業施設はあります)。
なぜか? 岩盤が固くて人が住めないからです。
岩盤が固いから、人が住めず、手つかずの自然が残りました。
岩盤が固いから崖が生まれ、きれいな渓谷美が形作られました。
それが大歩危・小歩危です。

最後に大歩危・小歩危の”大・小”の由来について考えます。
リバースポーツの場合、大歩危が遊覧船、小歩危がラフティング・カヌーと棲み分けられています。 大歩危峡はゆったりと大きく流れ、小歩危峡は激しく速く流れるためです。
このように地形の違いから大歩危・小歩危を区別した感じもしますが、はっきりとしたことはわかりません。
先日、地元の識者に聞いたところ、”単純に長さの違いでは?” とのことでした。 小歩危峡よりも大歩危峡の方がだいぶん距離が長いそうです。
そう言えば、オオボケ・コボケは元は道の名前。 この地に初めて足を踏み入れる人の多くはコボケ側から入ります。
距離の短いコボケを歩き、「この後にまだオオボケが控えているのかぁ」などと考えていたとすると、心の準備ができて良いネーミングだったのかも知れません。
以上、大歩危・小歩危の名前の由来について書いてみました。
この話については ”スタッフブログ特別編(#6 祖谷のかずら橋 1/4)秘境祖谷には「かずら橋」【導入編】” にも詳しく書かれています。 興味がある方は是非ご覧ください。 大変クオリティの高いブログです。
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