若い皆さんはあまりご存じないかも知れませんが、日本には屋号というものがありました。家の名前のことです。
江戸時代まで、武士以外は苗字を持てず、みなさん下の名前で呼ばれていました。”タロベー”とか”ヤヘイ”とか言った感じです。
しかし名前だけでは、どこのタロベーなのか、いずこのヤヘイなのか、分かりません。
「顔にホクロのある方のタロベーが・・・」とか、「海から近い方の家のヤヘイが・・・」などと言ってたのでは日が暮れてしまいます。
そこで、苗字の代わりに家の名前で識別していた訳です。例えば、私の家の屋号が”コウダイラ”だとすると、私は”コウダイラの風太”という具合に呼ばれます。

で、この記事のタイトル”ダヨンナル”ですが、これも屋号です。私の母の実家のものです。
家を建てたのが明治末か大正時代のはずなので、既に苗字はあったはずです。しかし祖谷ではまだ屋号を用いるのが主流だったようです。
そして私たちは、母親やおじ、おばから何かというと”ダヨンナルでは、ダヨンナルでは”と話を聞かされました。
今だと、”私が生まれた家では”とか、”私が育った家庭では”と言った言い方になるかと思いますが、屋号があるとそんな面倒は不要です。”ダヨンナルでは”で一発です。
だからかどうか知りませんが、私たちは”ダヨンナルでは”で始まる話を頻繁に聞かされました。
またそれが嫌ではありませんでした。”ダヨンナル”というユニークで謎めいた響きが妙に子供心をくすぐりました。
いとこ達もお気に入りで、私たちはよくダヨンナルの話を持ち出して会話を楽しんでいました。 ”ダヨンナル”が私たちをつなげる”シンボルワード”だった感じすらします。

そんな”ダヨンナル”の由来を知ったのは中学生の時でした。
民俗学が趣味の中学教師が赴任し、祖谷のことも調査されました。そして”ダヨンナル”は正しく”ダイオウ・ナル”から来ていることを教えてもらいました。
ナルとは祖谷の方言で”平らな土地”という意味です。”ダイオウ”は植物のダイオウで、ダヨンナルは”植物のダイオウがたくさん自生していたナルい場所”と言う意味だとか。

それから約50年。母親から畑の中の肥え壺の話を聞きました。いわゆる肥溜めのことです。
”ひょんな事から古民家への理解が深まった話“で昔の家には正面にトイレがあったことを書きました。これとは別に畑の真ん中にも肥え壺があったそうです。
そして、昼間に便意を催した場合は、畑の方のトイレで用を足すよう教育されていたと聞いています。その方が畑への施肥が楽だったためです。
昔、人糞は大変貴重だったようで、トイレ以外で用を足すとひどく叱られたそうです。
例えば母は、学校帰りに草むらで用を足したことがあるそうですが、「”〇〇〇は家でせぇっていっつも言よろうが! 何のために養いよると思とんな!」と言って叱られたそうです。
”苦労して子供を養っているのは畑の肥料のため”。そのような論旨です。
斬新というか、おったまげというか、その頃の人糞の大事さがよく伝わってくる逸話ですね。

面白いので私はトイレについての質問を続けました。
そして「お尻を拭く紙はあったのか?」と聞くと興味深い回答が返ってきました。
「ダイオウの葉で拭いていた」と言うのです。
出た!ダイオウ!我が意を得たり!
他にも、フキの葉とか、たぶん台湾クズの葉とか、色々あったようですが、そのような広めの葉を集めてトイレに置くのが子供の役割だったそうです。
私は「ダイオウはたくさんあったのか?」と質問を続けます。「そこら辺にいっぱい生えとった」と答えが返ってきます。
中学の先生が言った話の裏付けが、50年の時を経て確認できた瞬間でした。

私は現地に行ってみたくなりました。
幸い、うちの母(当時90歳)も、母の妹(当時88歳)も、”ダヨンナルに行きたい、ダヨンナルに行きたい”と五月蠅く言ってくれていたので3人で挑戦することにしました。
”どうして祖谷は杉だらけになったか?”で書いた話同様、ダヨンナルも既に杉林で行くことができませんでした。しかし幸いなことに、最近その杉が切り出され、切り出し用に作業道も作られていました。それを使えば行けるようです。
行ってみました。さすがに昔の面影は殆ど残っていませんでした。
しかし、畑だったと思われる整った傾斜地が健在だったり、水を引き込んでいた谷川の面影が残っていたり、二人の老婆が昔話に花を咲かせるには十分な痕跡があちこちに存在していました。
そして肝心のダイオウ。 ありました! さすがに杉林の跡地には見ることができませんでしたが、少し離れた場所で確認できました。

かくして幼い頃から聞かされ続けてきた”ダヨンナル”のなぞ解きが完結し、改めて屋号の重要性も知りました。屋号がわかれば、過去の生活や地形を紐解く手がかりとなります。
と言うことで、祖谷の皆さん、屋号を記録として後世に残す活動をしませんか?
家があった場所を写真に撮り、屋号とともに私に連絡してくれるだけで結構です。スマホの写真には位置データもついているので、屋号マップが簡単に出来上がります。その後、周辺の人たちや識者への聞き込み、残された地形の分析などをすると、屋号の由来が紐解けるかも知れません。
屋号マップはある程度まとまったら本Webサイトで公開したいと思います。ご賛同いただける方はご協力よろしくお願いします。

PS1:この記事に掲載している写真は2022年10月18日に母と叔母の3人でダヨンナルを訪れた時のものです。最後は満足した顔で下山してくれました。切り株のおまけ付きです。その切り株は一つ前の写真で目を付けたものです。ちなみにこの二人は現在93歳と91歳。ともに元気です。今も”ダヨンナルに行きたい、ダヨンナルに行きたい”と言っています。3年前に行ったことはすっかり忘れています。
PS2:私はダイオウを見にダヨンナルまで行ったのですが、両老婆のアクティブな姿を写真に収める方に夢中になり、肝心のダイオウの写真を撮り忘れました。。。
PS3:ダヨンナルの呼び方は、ダヨナルやダイヨンナルなど、親戚の間でも諸説あります。
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