先日ガイド仲間の忘年会で、ボジョレー・ヌーボー が話題になりました。
「ボジョレーの解禁日にNHKがニュースを流していた。凄いセールス効果だ。NHKがあんなことをしてもいいのだろうか?」というものです。
確かに。 NHKが商品名を口にするのは禁止のはず。 どうなっているのか!? それなら日本の酒も宣伝してやれよ!
ビール、焼酎、日本酒。 思い思いの酒を片手に喚きます。 単なる酔っぱらい集団の話です。
それから数日後。 その時の話が気になってネットで調べてみました。 調査は簡単、生成AIに訊くだけです。 ”ボジョレー・ヌーボーは商品名なのにNHKがPRしてよいのですか?”
すぐに答えが返って来ます。 ”ボジョレーヌーヴォーは商品名ではなくて地理的表示だから問題ない” そうです。
「ボジョレー」はフランス・ブルゴーニュ地方南部のワイン産地名。「ヌーヴォー(nouveau)」はフランス語で「新しい」という意味。 合わせて「ボジョレーヌーヴォー」は「ボジョレー地区の新酒」を指す一般名称であり、商標登録されたブランド名ではありません。
ご丁寧に解説まで添えてくれます。 なるほど。 心のもやもやが吹っ飛びます。
ちなみに、ボジョレー? ボージョレ? どっち? と思われた方はいませんか?
それも訊きました。 どちらでもよいそうです。 なのでここでは”ボジョレー”を選びました。 そっちの方がシュンとして感じます。

と言う感じで、最近の私は何でもかんでもAIに頼ります。
ブログを書いていて、「あれなんだっけ?」と思ったらすぐにAIに尋ねます。 あっと言う間に解決します。 物知り参謀が隣に常駐しているようです。
PCの調子が悪くなったり、新しいアプリを探さないといけない場合なども同様です。 生成AIに質問を重ねていくと簡単に解に辿り着きます。 仕事の中断が殆どありません。
なんと言う心地よさ。 子供たちがAIに頼る気持ちがよくわかります。

こんな感じでAI漬けの毎日ですが、最近、そんな私に警鐘を鳴らす面白い映画に出合いました。 「黒の牛」と言います。
監督は蔦哲三郎さん。 私が住む三好市出身で、全国に先駆けて近くで試写会が開催されました。 面白いとはこの映画のことです。
例えば、この映画には主人公が出て来るシーンしかありません。 2時間近くの長編です。 その間、主人公の行動ばかりを観させられます。
しかもこの主人公、しゃべりません。 「あー」とか、「うー」は言います。 しかし言語らしきものは口にしません。 主人公だけ観させておいてしゃべらせない。 ぶっ飛んだ映画です。
当然ですが、この人はどういう人なのか? 何を考えているのか? これはどういう映画なのか? よくわかりません。
そう言えば、画面も小さいです。 縦横比も正方形に近く、いわゆるシアターモードではありません。 しかも白黒。 みんなで集まって街頭テレビを見ているようです。

かと言って、詰まらないかと言うとそういう訳ではありません。
出て来るシーン、出て来るシーン、映像が大変きれい! すごく刺激的でもあります。 心が沸き立ちます。 知らず知らずスクリーンにくぎ付けにされます。
シーンチェンジも印象的です。 次のシーンなのにまだ前のシーンが脳裏に残ります。 その余韻に浸りながら、新しいシーンの映像美を追いかける。 余韻と刺激が交錯する不思議な気分になります。
画面が小さいこと、白黒であること、主人公だけを追いかけること。 それはそれで依然気になります。 頭から離れません。
そしてこれらすべてが何となく調和して押し寄せて来ます。 柔らかいけど強いメッセージのようなものを感じます。 しかしそれが何かはわかりません。 ジレンマを覚えます。

そう言えば映画の冒頭、「予備知識なしで観光地を訪れるつもりで観てください」と監督が言っていました。 「エンタメ性や主人公のキャラ立ちを一切排除した」、「30代の私の10年間の全てをぶつけた」、「感じるままに感じて欲しい」とも言っていました。
私は、突然、若松英輔さんの言葉を思い出します。
”あたまから発せられたものは相手のあたまに届き、こころからのものはこころに、そしてたましいから発せられたものはたましいに届く”
そうか! そういうことか! 理解しようとしてはダメ! 感じるんだ!
そう考えると、映画の全貌が何となく見えて来始めます。
たぶん、テーマは”自然への回帰”、時々出て来る豪雨は”天の警鐘”、白黒は邪魔な情報の排除。
とりあえず、初見で辿り着いたのはここまでです。

しかし。。。 それにしても。。。 面倒臭い映画を作ったものです。 便利さ、効率、タイパ。 世の中こぞってそのようなものを追いかけている時代にこのわかりにくさ。 受け入れられるか心配です。
が、待てよ? だからこそ必要なのか? そう思い始めます。
どんどん希薄になっていく人間関係、どんどん遠ざかっていく自然との距離。 便利さばかり追求しているからではないでしょうか?
面倒を避けたり、理解する努力を怠ったり、小手先に走ったり、そんなことばかりやっていたら本質を見失いますよ。 大切なものを無くしますよ。
そんなことを言われているようで私の耳が痛くなります。
益々便利になっていく世の中だからこそ、このような映画が注目されるべきではないか?
あーだ、こーだ、あーだ、こーだ、最近では珍しく一つのことを考え続け、私が最終的に辿り着いたのはそんな結論です。

以上、何を書いているかよくわからないと思います。 知りたい方は是非、映画”黒の牛”をご覧ください。 その後でこのブログを再度開いていただけると少しは面白くお読みいただけるのかな?と思います。
映画は来年1月23日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿K’s cinema他、順次全国で公開されるようです。 同映画の公式サイトはこちらです。
なお、本映画は4月に開催された第49回香港国際映画祭の”ヤングシネマコンペティション部門”で最高賞(ファイアバードアワード)に輝いています。
それと、この作品は蔦監督の2作目。1作目は10年前に作られた”祖谷物語おくのひと”です。その名の通り、祖谷を舞台にした映画です。
蔦監督は、この時から表現したいものは変わっていないとのことです。ご興味がある方は是非こちらもご覧になって頂ければと思います。 こちらから”祖谷物語”と入れて検索してもらえれば出てきます。

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