もう50年以上前の話になりますが、高校入試の日に飛んでもない先生に出遭いました。 試験官のくせして試験に5分も遅れて来るのです。
「おぉ~、すまんすまん」。 待ち合わせにちょっと遅れた程度のノリで入って来ます。 そして何事もなかったように試験が始まります。
その日は雨。 入試を受けていた教室は雨漏りしていました。 それをバケツで受けていたので、試験中ずっと、ピチャン、ピチャンと言う音が流れていました。
そして試験終了5分ほど前、教壇でカツカツカツと音が鳴り始めます。 遅れて来られた試験官が黒板に何か書き始めたのです。
何かなと思ってみてみると俳句でした。 ”入学試験、ピチャリピチャリと雨の音” みたいなものでした。
「ぎょえ~!」と思いました。 こちらはまだ必死。 一生懸命、問題を解いています。
「とりあえず無視」と思って最後の追い込みに勤しんでいると、その先生は手を叩き、「お前ら~」と言います。 「5分くらい悪あがきしても一緒じゃ。前、見ぃ!」。
その先生、こともあろうに俳句の解説を始めたのです。 「ぎぇ~、信じられん」。 そう思った私は、先生のことは徹底無視して最後の追い込みを続けました。

この時、私が受験した高校は徳島県立池田高校。 高校野球で全国制覇3回、準優勝2回、ベストフォー3回の強豪です。
春は28試合で22勝6敗、勝率7割8分6厘、夏は28試合で20勝8敗、勝率は7割1分4厘を誇ります。 春夏通算勝率7割5分0厘は現在も勝率ランキング3位です。 上には大阪桐蔭、PL学園の2校があるだけ。 どちらも大阪の私立で名門校です。
そんな中、公立で、しかも人口2万人程度(2025年12月現在)の山あいの田舎町で、進学校でもある池田高校が3位!? これは奇跡です。 そしてその奇跡を起こしたのが冒頭の破天荒な先生なのです。
その人の名は蔦文也。 池田高校野球部の監督を長く務めておられました。 先週紹介した映画監督蔦哲三郎さんのお爺さんに当たる人です。 分野は違えど、お二人とも”蔦監督”。 奇遇ですね。

蔦先生は野球の監督として有名ですが、列記とした高校教師でもあります。 担当教科は地理。 理系の私にはその後接点はありませんでしたが、大変気さくで楽しい先生です。 その後やはり池田高校に進学した私の妹は大変懇意にさせてもらっていたようです。
”山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ”。
これは蔦監督の口癖でした。 それが、夏春連覇どころか、夏春夏3連覇寸前まで行きました。 大海を見せるどころか大暴れして帰って来ました。
なぜこんな田舎の学校が日本中を沸かせることができたのか? それは金属バットにあったようです。 金属バットが解禁になった時、その威力に一早く目をつけた蔦監督は、筋トレとバッティングに徹する練習に切り替えたようです。
その結果、どこからでも打線がつながる ”打てばこだまするやまびこ打線” が出来上がりました。 見た目も強靭で、その後巨人に入った水野選手などは、”阿波の金太郎” と言う異名まで持つようになりました。
更にそれを指揮する蔦監督は ”攻めダルマ” と呼ばれ、最初に部員11名で準優勝した時は”さわやかイレブン” とも呼ばれました。 蔦が絡まる甲子園球場で蔦という名の監督が活躍したことも話題となり、池田高校は一時期甲子園を沸かせた風雲児となっています。
そんな蔦監督。 ”ワシから野球と酒を取ったら何も残らん” と自らがおっしゃる通り、本当に野球漬けで酒びたりの毎日だったようです。
自宅を改造して野球部員を下宿させ、夜も指導していたのは有名な話です。 が、その合間を縫って夜の街にもよく繰り出していたようです。
時に泥酔し、赤ら顔で人間味溢れる言動を繰り返した蔦監督。 地元では、蔦はん、蔦はんと呼ばれて誰からも親しまれておりました。
お亡くなりになった今でもゆるキャラ ”ツタハーン” が町のシンボルとして池田の町を盛り上げてくれています。

とにかく破天荒だった蔦さん。 人間味に溢れ、何をしても憎めないお人柄だったと思います。
そして人間、一途になればこんな大仕事もできる、それを身をもって証明してくれました。 私たち地元民にとって大きな誇りであり、勇気の源泉でもあります。
以上、先週、蔦監督のお孫さんの話を書いたので、その流れでお爺さんの話も書いてみました。
※丁度これを書いている最中にNHK”あの人に会いたい”で蔦文也監督が再放送されました。 これは何かのお告げでしょうか? 番組の内容を知りたい方はこちらをどうぞ。 短縮版ですが、蔦監督の人となりが分かります。


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