私はものぐさ。 ”やっておいた方がいいだろうなぁ” と思うことは数々あれど、その程度では動きません。 ぎりぎりまで腰が上がらないのです。 それで、たくさん失敗もしています。
そして、今回も、またやらかしちまいました。 水道の水を凍らせたのです。

水道の水を凍らせるとどうなるか? それはよく知ってます。 凍った水を溶かすなどは不可能。 40mもの長さのホースをまるごと交換するしかなくなります。
当然外は極寒な訳で、下手をしたら吹雪いています。 そんな中での水仕事は地獄です。 当然水をかぶります。 雪もかぶります。 手足は悴んで千切れそうになります。
なので凍結にはいつも細心の注意を払っています。 もちろん、夜寝る前は必ず水を出しておきます。 3年前の失敗をもとに、貯水タンクが空にならないギリギリの量を出すようにしています。
しかし凍らせました。 なぜ? 私の頭は混乱します。 まさか、あれ?
一つの不安が脳裏をよぎります。 隣の90歳のおじさんが言ってました。 「風太郎君な、冬に入る前に必ずホースを叩いておきなよ」。
年に一回はホース内壁の汚れを落とせ、という意味です。 そうしないと、付着物が蓄積し、凍結の原因になります。 血栓症のようなものです。
しかし、私はやりませんでした。 「やらないといけない」とは思っていました。 しかし忙しさにかまけてスルーしました。 1年位やらなくても大丈夫だろう。 都合よく考えます。 私の悪い癖です。
そのツケが来た! そう思いました。 祖谷の自然の厳しさを改めて痛感します。

心を入れ替えた私は腹をくくります。 完全な防寒体制のもと外に出ました。 スズメバチの時もこんな格好してたな。 どうでもよいことを考えます。
まずは家の脇にあるジョイントを抜きます。 水が来ていません。 やはり凍っています。
次に40mほど先の高台にある貯水タンクに行きます。 水が来ています。 と言うことは、ここから家の間が凍っています。
再び降りてきて一番低い位置にあるジョイントを抜きます。 こういう時のために設けた確認用です。 ここにも水が来ていません。 凍っています。
試しにホースを叩いて歩きます。 氷が割れて出てくれたらラッキー! しかし無駄でした。 やはりホースの交換しかありません。
私は再度貯水タンクに行き、元栓を占め、ホースを外します。 そしてまた再下点まで戻り、外しておいたホースの端を掴んで幹線道路まで引っ張り上げます。 あとは綱引きの要領です。 そして幹線道路の端に這わせます。
大人になってからやったことありますか、綱引き? ものの数分で腕がパンパンになります。 それを15分程やります。 まだ作業を始めたばかり。 でも腕はすでに棒のようです。

次に倉庫から予備のホースを運び出します。 こういう時のために40mの予備ホースを保管していました。 丸めてたので、まずは真っすぐに伸ばさなければなりません。 言うことを聞かない長いホースを悪戦苦闘のすえ幹線道路沿いに這わせます。 そしてその端を掴んで先ほどの逆、すなわち40m先の高台にある貯水タンクまで引っ張りあげます。
言うは易し。 40mのホースは結構な重量です。 丸まっていたため言うことも聞きません。 そんなホースを、谷に降り、橋の下をくぐらせ、傾斜60度の雪積斜面を引きづり上げます。
腕は麻痺。 不安定な足元。 何度も尻餅をつき、何度も休憩し、最後の力を振り絞ってタンクがある高台まで引っ張り上げます。
そしてジョイントへの差し込みです。 これがなかなかの難関。 自重で谷底に戻ろうとするホースを右手一本で支え、接続部分に押さえつけます。 そして左手でソケットをねじ込みます。 なかなか真っすぐ入りません。 笑う腕。 何度も休憩し、やり直します。
もう限界。 これを最後と、腹から声を絞り出します。 火事場の馬鹿力。 ソケットがいい感じで回ります。 あと少し、あと少し。 頑張れ。 自分で自分を応援します。 ソケットが締まりました。 やった~。 力のない安堵の声が洩れます。

と言う感じで、やらかしちまった代償を思う存分味わった私ですが、実は心の中では少し喜んでもいました。
そうそう、こんな感じ、こんな感じ。 作業をしている間、私の中にそんな言葉が木霊します。
都会で暮らした45年間。 冬に上水が凍ったことなど一度もありません。 メンテすらしたことがありません。 水は勝手に蛇口から出るもの、それが当たり前です。
しかし祖谷では違います。 水は大きな関心ごと。 水温、透明度、勢い。 いつも気にかけ、違和感を覚えるとすぐに調べます。 一人前の祖谷の住民は、冬に水を凍らせるようなヘマはしません。
一見厳しく、面倒臭くもある祖谷の生活。 しかし祖谷生まれ祖谷育ちの私にとってはこちらの方が性にあっているのかも知れません。 45年間過ごした便利で快適な都会の生活は、どこか現実味のない、ふわふわとした仮想空間のように感じられます。 本当に私は生きていたのか? 今際の際にそんなことすら思いそうです。
まぁ、そんなこともあって、生きている実感を抱きたくて、私は祖谷に戻って来ているのかも知れません。 だから、このような自然の厳しさに向き合うと、辛くもありますが嬉しくもあるのだと思われます。

最後にもう一つ。 今回のトラブルに際し、実にたくさんの方々から優しい言葉をいただきました。 お手伝いを申し出てくれたり、昼食を持って行こうかと言ってくれたり、夜は風呂に入りにおいでと言ってくれたり。。。 厳しい自然の中だからこそ、助け合い、共生する祖谷を再認識できたことも大きな喜びでした。 お気遣いいただいた皆様、ありがとうございました。
で、究極はうちの母親。 一番強く支援を申し出てくれました。 御年93歳。 実はこの対応が一番大変でした。
何度も出てきて「手伝う」と言います。 「手伝いは要らん!」と家に押し戻すと今度は「見物するだけ」と言って出てきます。 積雪に凍結。 転ばれでもしたら大変。 「頼むきん、家でおとなしゅうしよって!」。 私は母の背を押し、家に留まるよう懇願します。
すると今度は大きなやかんに湯を沸かして出てきます。 「これ掛けたら?」と言わんばかりにやかんを揺って合図します。 「勘弁! それで転ばれたら、骨折に火傷までついて来る!」 貯水タンクのそばにいた私は急いで戻ります。 そしてやかんを取り上げ、しぶる母親の背を押して家に入れます。
谷川に降りては家に戻り、高台に昇っては家に戻る。 本来、40m先の高台までを何往復かするだけのはずが、私の万歩計の表示は12,000歩を超えました。
なぜ母親を預かってと言わなかったのか? 近所の皆さんが優しい言葉をかけてくれた時のことを思い出します。 再び自分の脇の甘さを悔やみます。

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