以前、祖谷では ”驚く” は ”目覚め” を意味するとか、”大晦日” を ”おおつもご” と呼ぶことなどを紹介しました(興味がある人はこちら)。 どちらも高校時代の古典の授業で出てきてびっくりしたと言う話です。
古典に出てくるということは、京都でも使われていたと言うことで、こう言う祖谷独特の方言を ”京ことば” とか ”公家ことば” と呼ぶ人がいます。 いわゆる ”阿波弁” とは一線を画す祖谷のしゃべり方。 こんな山の中の飛び地になぜ? 子供の頃から何となく違和感を感じていました。
違和感は言葉だけではありません。 私たちが子供の頃、大変腰が低くて上品なお婆さんたちがあちこちにいました。 人に出会うと道をあけ、道端に立ってそれは上品な物腰で丁寧なご挨拶をしてくれます。
やはり平家の血筋の人は違うとか、平家屋敷のある阿佐集落の人はみんな物腰が柔らかだとか、みんなそのように思ってました。 実際そのように語る高齢者が今も祖谷にはたくさん残っています。
その頃はどんな挨拶が交わされていたか? 私の従妹がとある場所で紹介した例があるので紹介してみます。
「ゴシャメン(ご赦免)なさいませ。 ひさしゅう ぎょえ(御意得)ませんが、こちらのシ(衆)は みなさんおそろいでナサルカノー。 そりゃあ マア デカシマシタ ありがとうござりマスル。」

そんな折、祖谷の言葉を調べた専門家の本に出合いました。 当時徳島大学で教鞭をとられていた岸江信介教授の ”徳島県祖谷地方のことば” という書籍です。 たぶんもう単行本では買えないと思いますが、ネットなら下記から入手が可能です。
つながりで読むWebの本 YONDEMILL(ヨンデミル)
この本によると、祖谷地方には古語が色々残っているようで、それが岸江先生が調査を実施された動機でもあるようです。
そしてこの本の最初に出てくるのが “ガリ“ です。 例えば、祖谷では ”医者に行く“ を ”医者がり行く“ と言います。
”がり“ は ”〇〇のもとへ“ とか、”〇〇のところへ“ と言う意味なのですが、この言葉と使用法は上代、すなわち奈良時代以前のものと書かれています。 祖谷の ”ガリ” が上代から続いているとすると、本場京都ではとっくに廃れたはずの用法が1200年経ってもまだ祖谷の地で生き続けていたことになります。 ちょっとした浪漫です。
他にも、敬語表現としての ”オマス” や ”オヤル” についても書かれています。 NHK放送文化研究所監修(2005年)によれば1970年代の東祖谷住民のやり取りとして以下のものが紹介されています。
A: ほんま、タマちゃんクのリイキモうまいは、あれ。 あれ、できたらチートおやりんかえ。
B: 楽なことよ。できさえしたら、オマスぞよ。
これは、「タマちゃんちのサツマイモは大変おいしいので今度できたらくれませんか?」、「何でもないこと。出来さえしたら上げますよ」と言うやり取りなのですが、この ”オヤル(ください)”、 ”オマス(差し上げる)” も立派な古語だそうです。
オヤリなどは今でも頻繁に聞く言葉で、私の1つ上の従兄は私に対しては「それ、オラにもくれぇや」と言いますが、うちの母親に対しては「それ、オラにもおやりや」と言います。 敬語表現の ”オヤル” を今でも使うのです。
”オヤル” は ”タモレ” とも言います。 これも古語だそうですが、私の祖母などは日常的に使用しておりました。 以前 ”よびごと” で紹介した「お~い~、ダヨンナルのお母よう~。オラんくの嫁さん逃げたきん、その前で捕まえてたも~」の ”たも~” も ”タモレ” の短縮形だと思います。
岸江先生の本では ”オヒニナル” も紹介されています。 朝お隣さんを訪ねる時など、「オヒニナッテオイデルカエ」で言うやりとりで始まりました。
「もうお起きになっておられますか?」と言う意味なのですが、”もうお日様の下で活動しておられますか?” とニュアンスの言葉だと思います。 何と粋で奥ゆかしい表現なのでしょう?
昔の祖谷では、こんな品のある言葉が日常的に飛び交っていたようです。 だとすると、ここはやはり雅な世界。 公家ことばと皆が言う気持ち、大変よくわかります。
と言う感じで、岸江先生の書籍を発見することで、昔の人の言葉使いの上品さや、抱いていた違和感のなぞが解けてきました。
もっと深掘りして行きたいところではありますが、残念なことに岸江先生は今は奈良大学のお方。 もう祖谷について調べる動機も時間もないかも知れません。
どなたか他に興味のある先生や学生さんはいらっしゃっらないものでしょうかねぇ? 今ならまだヒアリング対象も健在ですし、白毛馬、全面協力させていただきますよ。

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