三好って結構日本の歴史に関係しているんですよ

三好市役所 祖谷の歴史
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祖谷がある三好市。 お隣の東みよし町も含めて昔は三好郡と呼ばれていました。

その三好郡。 弱小徳島県の中でも最西端の辺境の地にあって、さぞや歴史の表舞台からは縁遠い存在だったと思われることでしょう。

でも違います。 意外と中央との関係が深いんですよ。 今日はそんな話を紹介してみたいと思います。

失われたアーク伝説

まずは紀元前600年頃のお話です。 日本は縄文時代から弥生時代に入ろうとしていた頃でしょうか? あの有名な映画 ”インディージョーンズ” でも話題となった ”失われたアーク” が祖谷の剣山にあるという話があります(例えば ”古代日本 ユダヤ人渡来伝説”、坂東誠著、PHP出版社)。

アークとは ”十戒の石板” を収めた聖櫃せいひつのことで、ユダヤ王国が滅亡したときに、他の祭具・財宝(いわゆる ”ソロモンの秘宝” )と共に行方不明になったそうです。 征服された部族が秘宝と共に東方に持ち去ったと言われているそうで、それが祖谷の剣山つるぎさんに隠されているという説があるようです。

この話はマニアの間では有名らしく、エリー・コーヘンという駐日イスラエル大使が剣山を訪れたことで噂に拍車がかかったようです。 私も観光ガイドの際、何度かこの件について質問を受けたことがあります。

日本人のルーツの一つがユダヤにあり、それが徳島や剣山を起源としているとすると面白いですね。

邪馬台国阿波説

邪馬台国やまたいこくがどこにあったか? 近畿説や九州説が有力と言われている中、阿波、すなわち徳島県にあったという説を唱える方も結構いらっしゃるようです。

なぜ諸説入り乱れるか? 邪馬台国の存在は中国の魏志倭人伝ぎしわじんでんに書かれており、特に中国から邪馬台国への行程に関する記述が議論となっているようです。 その記述にバチっとハマる場所がないためです。

そこで出てくるのが阿波説です。 そして ”サイエンスで読み解く古代ミステリー(越智正昭著)” によれば、現在の国道439号線、すなわち、そのルート沿いの山々の稜線を使って阿波(厳密には”神山町”)に至るルートを想定すると辻褄があうのだそうです。 このルートとは ”実は東祖谷は開かれた土地だった” で書いたルートとほぼ同じです。

だとすると、邪馬台国のあった3世紀ごろ、すなわち弥生時代から古墳時代に入る頃、祖谷を貫く山々の稜線を中国への使者が行き来していたことになります。

その頃、祖谷にどのくらい住民がいたか定かでありませんが、“東祖谷ジャーニーラン(その4:2025年おてつだい旅)”で紹介したような感じで、眼下に集落を見下ろしながら往来していたのかも知れません。 ちょっと山を下りて民家で一休み、なんて人もいたかも知れませんね。

ちなみにですが、徳島県には古くから、吉野川~剣山系を拠点としていた阿波忌部いんべと呼ばれる人たちがいて、ヤマト朝廷における重要な役割を担っていたそうです。

その名残りは今も残っていて、天皇即位に伴う大嘗祭では ”麁服あらたえ” というあさ神布しんぷを徳島県が必ず献上することになっていますし、毎年行われる新嘗祭にいなめさいでも粟は徳島県が献上することになっています。

ここら辺りの話は、”天皇即位と大嘗祭だいじょうさい(林博章著)” に書かれていますが、邪馬台国があったかどうかはさておいても、古代日本において西阿波を含む徳島県が重要な立場にあったことは事実のようです。

流刑者の往来

前項で述べたような背景もあってか、国道439号線に沿う山の稜線は四国を縦断する幹線道路になっていたようです。 そしてその行きつく先(土佐)は流刑の地でもあったようで、多くの流刑者がこの幹線道路を行き来していたようです。 その中には中央(京都)での権力闘争に敗れたお公家さんや僧侶なども含まれていたようです。

その代表は尊良親王たかよししんのうでしょうか。 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した人です。 後醍醐天皇の皇子(長男)で、元弘の乱(1331-1333年)に敗れて土佐に流罪になります。 尊良親王がどのようなルートで土佐に入ったかは定かではありませんが、その後を追った加羅歌姫からうたひめの伝説は祖谷にたくさん残っています。 詳しく知りたい方は”加羅宇多姫伝説と若宮神社”をご一読ください。

その他、結局は讃岐に流罪となったようですが、浄土宗の元祖法然もここを通る予定でしたし、祖谷の開祖と言われる恵伊羅御子えいらのみこ小野老婆おののろうばはこのルートで土佐に向かう途中に祖谷に住みついたと言われています(詳細はこちら)。

ちょっとルートは違いますが、坂本龍馬も人気ひとけの少ない三好の山岳ルートを通って脱藩しています(司馬遼太郎の ”龍馬が行く(第3巻)” に詳細な経路が書かれています)。

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平家の落人伝説

これはこのサイトでも何度も話題にしているので詳述は避けます。 屋島の合戦で敗れた平家は、壇ノ浦には影武者を送り、平教経(清盛の甥)が幼い安徳帝をお連れして祖谷に逃げ込んだと言われています。
※詳細を知りたい人は、このサイトの検索欄に”平家”または”安徳”と入れてみてください。

もう一つの平家伝説の看板

三好長慶

大河ドラマなどでヒール役としてよく出て来ます。 織田信長に先んじて最初の天下人になったとも言われるこの人物は徳島県出身です。

そしてその苗字からわかるように、”三好市が生誕の地” と言う説があり、毎年11月に”三好長慶 武者行列まつり” も行われています。 日本最初の天下人が三好市出身だったらすごいですね。

当然ですが、ずいぶん前から三好長慶のNHK大河ドラマ化に向けた活動も行われていて、現在やっと2029年版に選定される可能性が出ているようです。

これが実現したら、その生誕の地がどのように描かれるか楽しみですね。

白地城

三好市は四国の中央に位置します。 と言うことは、四国4県のすべての県境に近いため、戦国時代は国盗り合戦のメッカでした。

特に三好市池田町白地はくちにあった白地城は四国のかなめとされ、その覇者長宗我部元親ちょうそかべもとちかも、豊臣方の攻勢に対してここを拠点に戦っています。

現在その地は ”あわの抄” という宿泊施設になっています。 しかもこの施設建築が文化財保護法成立の前だったこともあり、残念ながら白地城の形跡は殆ど残ってておりません。

しかし要塞としての地形などは変わりようがなく、壕や空堀の跡も頑張ればわかります。 何やら ”信長の野望” と言うゲームにも登場するのか、”リアル信長の野望①白地城を攻める” なるサイトに白地城が結構詳しく紹介されています。 是非見てみてください。

ちなみに現在やっている大河ドラマ ”豊臣兄弟” でも、もうすぐ長宗我部征伐が始まるものと思います。

あいにく(?)戦場とはならなかった白地城が描かれることはないと思いますが、名前くらいならたくさん出てくるかも知れません。 気にかけてご覧いただければと思います。

葉タバコ

これも自慢すべき三好の産業と思います。 江戸時代には一世を風靡した刻みたばこ。 キセルの先に入れるやつです。 当時は ”粋” の象徴とされ、花魁や大店おおだなの旦那衆は必ずと言っていいほどこれを持っていました。

その原料となる葉タバコの多くは祖谷や山城町(大歩危・小歩危の辺り)で栽培され、池田町や井川町経由で出荷されました。 

本件、三好が江戸文化を支えていた時期があるということで、誇ってよいお話かと思います。

タバコ資料館

池田高校

最も直近に日本中を沸かせたのが三好市池田町にある池田高校です。 私の母校でもあります。

こんな片田舎の、しかも公立高校が、並み居る都会の私立高校や甲子園常連校を何年にも渡って撃破し続け、甲子園の歴史にその名を刻んだことは大変誇らしいことと思います。

詳細は知りたい人は、”もう一人の蔦監督の話”をご覧ください。

蔦監督のイラスト

中央構造線

最後は日本一の大断層 ”中央構造線” です。 300万年ほど前の話なので、本来はこの記事の冒頭に来るべき話と思いますが、拒絶反応を示す方もいらっしゃると思い、おまけと言う形で掲載します。

中央構造線は関東から九州までつながる大断層で三好の中も通っています。 それどころか、断層の様子が目視できる場所が何カ所か存在し、日本中の地質学者が少なくとも1回は訪れる地学会の巡礼地の一つになっています。

この大断層は、日本をタツノオトシゴのような形にした事から始まり、日本の歴史、文化、生活様式などに多大な影響を及ぼしています。 その詳細はまた追って紹介するとして、まずはそんな日本の原点ともいえるような大断層が三好で観測できると言うことだけをとりあえずここでは紹介しておきます。

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おしまい。

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