祖谷のぉ~源内さぁ~んは~ 稗の~粉にぃ~むぅ~せぇ~た~
お茶がなかったら~ むぅ~せぇ~死ぃ~ぬ~るぅ~
民謡 ”祖谷の粉ひき節” に出てくる歌詞です。
源内さんとはかつて東西祖谷を統治していた政所、すなわち一番偉い人のことです。 その偉い人が庶民と戯れる様子が歌詞になり、今も歌い継がれています。 民から慕われていたことがよくわかります(詳細はこちら)。
さて、シリーズでお送りしている”祖谷の歴史を変えた3つの出来事”。 本日はその第3弾、源内さんを代表とする喜多家について書いてみたいと思います。

(最後の源内さんが住んでいた家)
喜多家の歴史は、蜂須賀氏が阿波に入国した1585年(天正13年)に始まります。 豊臣秀吉の四国制圧です。 それまでは徳島を始めとする四国の大半を長宗我部元親が支配していました。
これに対して天正一揆と言うものが起こります。やはり1585年のことです。
一揆というからには四国が平定された後に農民や豪族が抵抗したということでしょうか? 徳島県のあちこちで発生したようです。 祖谷でも西祖谷24名、東祖谷12名、すなわち東西祖谷の全名主が立ち上がりました。
しかし祖谷以外の一揆は1年以内に鎮圧されたそうです。 残るは祖谷だけ。 その祖谷の鎮圧に6年を要します。
山だらけの祖谷。 どこに人が潜んでいるかは知る由もなく、上から岩など落とされたら一たまりもありません。 圧倒的に守る側、地の利のある側が有利です。 335km2に及ぶ面積の巨大な山城に籠城しているようなものです。
※335km2は東西祖谷の総面積です。例えば大阪市の1.5倍の広さです。
そんな祖谷を攻め落としたのが喜多氏です。 当初は小野寺姓を名乗っておりました。 棟梁は小野寺六郎三郎吉郷と言います。
兄がおり、美馬郡一宇を抑えました。 そして南姓を名乗ります。 対して弟の六郎三郎氏は北家を名乗ります。 それが喜多に変わり、現在に至ります。
阿佐家を意識したのでしょうか? 喜多氏は阿佐家を律する形で子と孫を配置し、統治の土台を固めます(その詳細は こちら)。

(祖谷八士のひとつ阿佐家住宅)
これにて一見落着か? いえいえ、まったくそうではなかったようです。
何とか一揆を制圧した蜂須賀氏ですが、その後も祖谷の人々には手を焼いたようです。 反抗的な態度が収まらかったのでしょうか。
例えば検地。 最初の検地まで27年を要しています(1612年(慶長17年)実施)。 しかも “申し立て検地” 、すなわち(たぶんですが)自己申告のような実態のないものだと思われます。 その間、同じ三好市の池田町では少なくとも18回の検地が行われたとのことなので、祖谷は実質的には無法地帯だったのかも知れません。
そして、蜂須賀家はそんな祖谷に最終手段を取ります。 1617年(元和3年)に時代錯誤の刀狩りを強行したのです。
これに対し祖谷の人たちは再び立ち上がります。 蜂須賀氏に直談判を試みたのです。 これを元和強訴と言います。
しかし江戸時代の直談判は大罪。 1620年に大量の処刑者が出ます。 そして同年8月祖谷は陸封されます。
「その谷の便、相止め候いて」。 当時の蜂須賀家藩祖家政のお言葉だとか。 ”その谷” 呼ばわりです。 祖谷と言う名を呼ぶことすら忌まわしかったのでしょう。
※家政とは、現在大河ドラマに出てくる蜂須賀小六正勝の長男です。正勝は四国平定には関わりましたが、藩祖としては子の家政を置きました。
米も穫れないくせに面倒ばかり起こす。 噛みつけないようにだけしておいてハブろう。 後は、喜多君、よきに計らえ、てな感じでしょうか。 面倒な祖谷を喜多氏に押し付けて見捨てたのです。

(大枝旧喜多家住宅)
しかしその喜多氏。 うまく統治したのでしょうか。 その後の祖谷は特に大きな問題も起こらず、暮らしぶりも安定していたようです。
八士三十六名と呼ばれる階層統治で阿佐氏を始めとする有力豪族と均衡を保ちながら、安徳天皇ゆかりの神社など文化財も手厚く保護しました。 領民との関係性も重視していたと思われ、それは冒頭の民謡で紹介した通りです。

(祖谷八士のひとつ徳善屋敷)
と言うことで、それまでは開かれた土地だった祖谷(詳細はこちら)。 蜂須賀氏による陸封、喜多氏による統治によって大きく歴史が変わりました。
閉鎖社会に大きく舵が切られ、外界の影響を受けない、祖谷の生活環境だけにカスタイマイズした独特な文化圏が形成されていくのです。 それが秘境祖谷を生む結果となったことは疑う余地がありません。
以上、祖谷を大きく変えた3つの出来事の最後として喜多氏の入山について書いてみました。 ここに記載している話の殆どは、祖谷山研究会代表下川清先生の書籍や講義録を参考にしています。 ここに改めて御礼申し上げます。
なお、源内さんですが、4代目以降の頭首はみな源内を名乗っています。 歌舞伎などと同様踏襲制です。 なので冒頭の歌詞も何代目の源内さんを歌っているかは分からないことを最後に補足として添えさせていただきます。

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