恵伊羅御子と小野老婆(祖谷の歴史を大きく変えた3つの出来事 その1)

地元神社の神様 祖谷の歴史
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最近、祖谷の歴史に興味があると言う若者に出会いました。

「それは是非ブログ見てください」と言おうとしましたが、祖谷の歴史について断片的にしか書いていないことに気付きました。

という事で、祖谷の歴史の全体像と言うか、骨格に当たる部分についてシリーズで書いてみたいと思います。

骨格と言うのは、祖谷の歴史を大きく変えたと思われる3つの出来事のことで、具体的には恵伊羅御子えいらのみこ小野老婆おののろうば、平家落人、喜多家、各々の入山です。

本日はその第一弾、恵伊羅御子と小野老婆について書きます。

東祖谷歴史民俗資料館の恵伊羅御子と小野老婆の説明

(東祖谷歴史民俗資料館の展示パネル)

恵伊羅御子と小野老婆とは ”祖谷の開祖” と言われている人です。

時代の程は定かでありませんが、東祖谷歴史民俗資料館では1200年前の人と書かれています。 だとすると平安時代初期と言うことになります。

美馬みま郷士史には西暦698年(朱鳥12年)となっているようです。谷口秋勝氏の”秘境の祖谷山神話と伝説”(祖山秋月堂)にそのように書いています。
※美馬とは現在の美馬市のことです。三好市の隣です。祖谷は1950年(昭和25年)まで美馬郡でした。

だとすると1327年前のことになります。 奈良時代より更に前の飛鳥時代と言うことになります。

開祖と言っても、初めて祖谷に住み始めた人という意味ではありません。 それ以前から人は住んでいました。 ただし大変時代遅れの暮らしをしていたようです。

そこにやってきたのが恵伊羅御子と小野老婆。 京から来たとも、熊野から来たとも言われています。

そんな繁栄の地から来た二人。 さぞかし祖谷の暮らしぶりににびっくりしたことでしょう。 農耕や機織りの仕方などを教えます。 蕎麦を伝えたとも言われています。

”開祖”とはそういう意味で。この二人の入山によって祖谷の暮らしが大きく改善したようです。 

祖谷の雑穀

(祖谷の雑穀)

しかし本当にそのような人がいたのでしょうか?

例えばですが、小野老婆ゆかりの柳の木が存在しています。

小野老婆は柳の杖を使って祖谷に入山しました。 そして若木が萌える気持ちの良い集落に到着し、そこに定住します。 その際に地面に刺した杖が根を張り、柳の木として今も残っていると言われています。 老婆が定住したその集落は ”若林” と呼ばれるようになりました。

どう思いますか? 寓話のようです。 しかも結構クオリティーが低い。

なぜ、よりによって杖に不向きな柳なのか? 杖から根が張るのか? 柳の寿命は1000年以上あるのか?

疑問が尽きません。 考えれば考えるほど、こじつけっぽく感じます。

小野老婆の柳

(小野老婆の杖から育ったと言われている柳の木)

他にもあります。 例えば恵伊羅御子と小野老婆が力比べをしたと言う大石が残っています。

祖谷でよく階段に用いられる泥質片岩でいしつへんがん。 階段用に同じ長さ、同じ大きさに加工されます。

それを祖谷川から山の神社までどちらが先に運べるか競争したそうです。

そして小野老婆が勝ちます。 「着いたぞ~!」。 神社から雄たけびを上げる小野老婆。 それを聞いた恵伊羅御子が悔し紛れに地面に大石を投げつけます。 その石が地面に突き刺さり、1000年以上立った今もそのままの姿で残っています。

この話も突っ込みどころ満載です。

泥質片岩でできた石段

(泥質片岩で作られた石段)

しかし、これら伝説、内容を吟味して、目くじらを立ててはいけません。

考えるべきは、そのような伝説がなぜあちこちに残っているか? そこだと思います。 面白半分に誰かが作り話をしたとして、こんなに長く語り継がれることはありません。

私は本当にそのような人がいたのではないかと思っています。

と言うのも、前にも書きましたが、土佐、すなわち高知県はむかし流刑地の一つでした。

太平洋に面した高知県。 他の3方は四国山地の急峻な山々で囲まれています。 まさに陸の孤島。 流刑地にはもってこいです。

そしてそこに行くには山の稜線を使うしかありません。 そして土佐への道中に位置する祖谷。 ”実は東祖谷は開かれた土地だった” でも書きましたが、祖谷の山々は土佐へ通じる幹線道路の一つだったのです。

山の上から見た祖谷の集落

(天空の林道から見た祖谷の集落)

そんな山の上から見た祖谷の集落。 大変魅力的に映ります。 ちょっと降りてみよう!などと思った人がいても不思議ではありません。 土佐に着いたと勘違いして降りた人もいたことでしょう。

意図的に降りるか、間違って降りるか、その違いはともかくとして、土佐への途中で祖谷に降りる人がいたとしたら何が起こるでしょう?

交流が始まります。 歓待されたり、お礼に何かを教えたり。 リピーターになるとお土産なども持ってきたことでしょう。

中には影響力の大きな人もいたと思われます。 インパクトある出来事はすぐに噂となって広がります。

こんな人が来たらしい。 ありがたいこと。 勿体ないこと。 噂が噂を呼び、伝言ゲームで誇張され、湾曲されていきます。

そしてそれが、恵伊羅御子と小野老婆という形になって今に語り継がれているのかも知れない、などと思ったりします。

恵伊羅御子の祠のイメージ図

(西祖谷山村閑定にある恵伊羅御子の祠のイメージ図)

まぁ、そんなこんなで、昔のこと過ぎてよくわかりませんが、祖谷に公家言葉が残っていたり(詳細はこちら)、高知県にはお公家さんのイベントがあったり。。。 興味深い事実がチラホラと残っています。

と言うことでそこら辺りを調査して、また何か分かったら記事にしたいと思っています。

が、その前に、今日のところは、このお二人の話が祖谷にとっては大変重要なものかも?ということだけをお伝えしておきます。

そう言えば、恵伊羅御子と小野老婆。 名前もたいそう興味深いですね。 何か関連情報をお持ちの方などいらっしゃったらご連絡お待ちしています。

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