アレックス・カー!? 皆さん、ご存じですか?
祖谷の有名人の一人です。 AIに聞いてみてください。 たぶん、安徳天皇などと並んで先頭に出てきます。 それがアレックスです。
ツアーガイドをしていても時々彼について聞かれます。 どこに住んでいるのか? 何をしているのか? 会うことはできるか? etc.
実際、祖谷の観光にもアレックスはかなり関わりをもっています。 なのでこのWebサイトでもちょくちょく名前を出しています。 しかしまとまった紹介をしたことがまだありません。
と言うことで、本日はアレックス・カー氏について書いてみたいと思います。

(落合集落の風景。アレックスがプロデュースした茅葺屋根の古民家が見えます)
アレックスが最初に祖谷を訪れたのは1971年のことです。 2ヶ月に渡って日本中をヒッチハイクします。 そして最後にたどり着いたのが祖谷。 ここに惚れこみ、移住します。 私が中学生の頃の話です。
家を探した結果、釣井と言う集落に落ち着きます。 古民家を安く手に入れ、改修を始めるのです。
「釣井に妙な外人来て家たてよるんじゃと。行てみたら?」。 高校1年の夏休み。 母の言葉です。
当然、そんな勇気などある訳もなく、気になりながらも何も行動を起こすことなくその夏は終わりました。
その古民家改修。 実はこの作業がその後の祖谷に大きな影響を与えることになったようです。
以下、今風にリノベーションと呼びますが、これを手伝いに来たアレックスのお友達の皆さん、その多くが祖谷のファンになります。 そして母国に帰り、祖谷をPRします。 今で言う推し活です。
中には旅行雑誌やツアー会社に勤め始めた人もいて、彼ら彼女らが雑誌やパンフレットで祖谷の魅力を紹介します。 電子メールもなかった時代。 紙媒体が主な情報伝達手段でした。
その流れは2000年に入っても続きます。 そしてすそ野を広げます。 2009年に祖谷がミシュラングリーンガイドに掲載され、2018年には⽶国旅⾏雑誌「トラベル+レジャー」の訪れるべき世界 50 の旅⾏地の一つに選ばれます。
加えて今やネットとSNSの時代。 祖谷の情報は欧米でも結構流れているようで、これを見た人たちがたくさん祖谷を訪れてくれるようになりました。 そしてここを気に入った彼ら、彼女らがまたネットに拡散する。 祖谷は今や勝手に情報が拡散される好循環モードに入っています。
そしてそれもこれも出発点は古民家のリノベーションにあり、そこを拠点に集った人たちのネットワークにあると思っております。

(アレックスが最初に改修した古民家”ちいおり(篪庵)”)
さてその中心的人物だったアレックス。 どんどん変わっていく祖谷に失望していきます。 そして失意の末に祖谷を離れます。 本拠地を京都に移すのです。 1978年のことです。
そして1993年、”美しき日本の残像” という書籍を発行します。 ”残像” ですから ”もう日本は美しくない” と言っています。 かつて彼を魅了した祖谷ももうその頃の祖谷ではないと書いています。
同書籍は1994年の新潮学芸賞を受賞し、1996年には英語版 ”Lost Japan” が発行されます。 日本人も気が付かない(日本人だからこそ気が付かない)日本の美を追求したその書籍は旅行者や日本研究家の間で話題となり、ロングセラーとなります。
そしてその美の追求。 スタートポイントとして書かれているのが祖谷なのです。 この地がどれだけ美しかったか、住んでいる人たちがどんなに魅力的だったか、熱い思いがたくさんの言葉で綴られます。
そう書かれたら行ってみたくなるのが人情。 アレックスの心とは裏腹に、あるいはそうなることを意図していたのか、たくさんの外国人が祖谷を訪問し始めます。 この本も仲間たちの活動と並んで祖谷PRの中核の一つとなります。
かくしてアレックスは注目の人となり、祖谷もインバウンド成功事例として認知され始めます。 今や観光スポットに行っても、レストランに行っても、お客様の大半は外国人です。

(祖谷のとある小さな飲食店のビジターピンマップです。ここにもこんなに外国人が。。。)
こうして本拠地を祖谷の外に移したアレックスですが、通いで祖谷の応援は続けます。
2005年には”ちいおりトラスト”を結成し、古民家を活用した観光事業を開始します。 同年落合集落が国の伝統的建造物保存地区に指定されたのを受け、市がその活用方法をアレックスに相談したためと思われます。 彼は古民家8棟をリノベーションして宿泊施設にすることを提案し、そのプロデュースにも乗り出します。
そして古民家は、2010年1棟、同11年2棟、同14年3棟、同15年2棟と言うペースで再生され、これに合わせるように、ちいおりトラストは2012年に宿泊事業を開始します。 それが現在の桃源郷祖谷の山里、ならびにアレックスが最初にリノベを手掛けた ”ちいおり” です。
そしてこの落合集落8棟、並びにちいおりは、東祖谷を代表する宿泊施設として大きな人気を博します。 加えて、ここに働くための移住者が増え、地元民の新たな働き口にもなります。 色んな形で祖谷の活性化に貢献します。
同2012年にはアレックスが提案した木造建築の東祖谷小中学校が完成するという出来事もありましたが、この辺りを境にアレックスの祖谷での活動は目立たなくなります。
その後は、広告塔役に徹し始めたのか、三好市のプロモーションビデオや、TEDに出てくる程度ですが、ここでも彼は祖谷や日本を熱く語っておられます。

(アレックスがプロデュースした木造建築の東祖谷小中学校)
以上、アレックスについて私が知っていることを書いてみました。
鋭い読者の皆様はお気づきのこととと思いますが、アレックス、アレックスと気安く呼びながら、実は私は彼に会ったことがありません。 彼を知る人の話や残された記録などを手掛かりにこの記事を書いています(なので誤りなどもあると思います)。
今にして思えば、高校1年のあの夏が唯一の接点。 あの時勇気を出していれば?などと今でも時々思います。 そしたら私は違う人生を歩んでいたかも?などとも思います。
祖谷に戻って4年強。 だいぶん彼のことがわかるようになって思うのは、彼が祖谷に来なければ、ここ東祖谷は人知れず静かに消滅していくだけの村になっていただろうなぁと言うことです。
そこへ彼が現れ、祖谷を絶賛し、思いもよらぬ提案をし、自らが実践し、明確な成果まで残しました。 彼が来なければ東祖谷がこんなに広く世に知られることはなかったと思います。
彼は0から1を生みだした創造者であり、それを10位まで育てあげたインキュベーター(事業の育成者)でもあります。
これを更に100位まで大きくできたら東祖谷も生き残る道筋が見え始め、1000位まで行ったらちょっと一息つけるかな? そんな風に思っています。
東祖谷をゲームチェンジしてくれたアレックス。 その残像が消え去らないうちに、限界集落脱却の糸口が見つけられたらいいなぁと改めて思う私でした。
この流れに乗っかって何かやってみたい人、是非コンタクトをお待ちしています。


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