安徳帝のかわいらしいエピソードをまとめてみました

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比較的最近、平家の落人伝説に関する記事を2本書きました(具体的にはこちらこちら)。 これに触発されて、安徳天皇にまつわるかわいらしいエピソードをまとめてみたくなったので勝手に紹介したいと思います。 記載の順番は下記マップの通りです。 もしよかったら辿ってみてください。

①琵琶の滝、②天皇森、③下瀬、④栗枝渡八幡神社、⑤装束石、⑥皇宮の太鼓田、⑦刀掛けの松

琵琶の滝

祖谷の観光サイト/琵琶の滝

まずはここ、琵琶の滝です。

まだ6歳の安徳天皇。 この辺りまで来られた時に疲れたとぐずり始められます。

では、一休みしましょうか、と言うことで、落人ご一行は滝を囲んで座ります。

そのとき女官の一人が朝千鳥という琵琶の名器を取り出し、ボロンボロンとかなで始めます。

すると、お疲れの安徳天皇。 スヤスヤと深い眠りにつかれたそうです。

ここはそんないわれのある場所。 それにちなんで”琵琶の滝”と呼ばれるようになりました。

天皇森

祖谷の観光サイト/天皇森

この辺り一帯は”天皇森”と呼ばれ、近所の子供たちの遊び場として親しまれていました。 実際私が小中学生の頃、この辺りから通う友達がよくここで遊んだ話をしていました。

そんな天皇森。 安徳帝の最初の宮殿があった場所と言われています(詳細はこちら)。

そして天皇森があるこの集落は「京上」と呼ばれます。

帝がお住まいだったから「京」なのですが、それには少し山深すぎます。 

そこで「ここは山の上の京ですよ」と天皇をお慰めしたと言われており、それが”京上”の名前の由来と言われています。

更に、天皇森がある淵を少し下がった辺りは「宇治川」と呼ばれています。 「あれは比叡の山」、「こちらは宇治の流れ」と景色を指して、京への思慕を募らせる帝をお慰め差し上げていた場所とも言われています。

下瀬

東祖谷小中学校

最初の宮殿が天皇森に作られましたがあいにくすぐに地すべりで流されてしまいました。

「次に朕の住むところは蛙の鳴くところ」。 幼い帝のかわいい一言で配下の者は蛙の鳴く場所を探します。

時は秋。 蛙の鳴き声がする場所などなかなか見つかりません。 そんな中、下瀬集落の辺りで鳴き声が聞こえたそうです。 現在東祖谷小中学校がある辺りです。 そこで配下の者たちは下瀬集落を中心に宮殿に適した場所がないか探します。

東祖谷小中学校が見えるこの辺りはそんな逸話が残るところです。

栗枝渡八幡神社

祖谷の観光サイト/栗枝渡八幡神社

栗の枝を渡ると書いて栗枝渡くりしど。 安徳帝が川をお渡りになる際、栗の枝を渡してもらい、その上を歩かれたことが名前の由来と言われています。

下瀬集落を中心に次の宮殿に条件のよいところを探していた配下の者たち。 この栗枝渡集落が南向きの斜面で大変立地条件が良いことに目を付けます。 そしてここに第2の宮殿を作ります。
※この第2の宮殿跡地が現在の栗枝渡八幡神社となったと思われます。詳細はこちら

なお、この近くにトチサカと呼ばれる場所があり、そこにもかわいい伝承が残っています。

祖谷に来て遊び道具にも不自由された安徳帝。 自然のものを集めて楽しんでおられたそうです。 第2の宮殿の仮御所にお渡るになる際も、その途中で栃の実を見つけられたとか。

たいそう珍しがられ、大切に持っていたところ、お手元から1つ2つとこぼれ落ち、坂道を転がっていったそうです。 それを慌てて追いかける共のもの。 それ以来この場所はトチサカと呼ばれるようになったそうです。

装束石

祖谷の観光サイト/装束石

ここは装束石と言って安徳帝が装束をお直しになった場所と言い伝えられています。

既にコンクリートで固められていますが、その下に大きな石が見えます。 この石に腰を掛けて装束を直してもらったものと思われます(詳細不明)。

この場所はいつ行っても花が手向けられています。 近所の方が言い伝えを守り、今も大切に管理しています。

皇宮の太鼓田

祖谷の観光サイト/皇宮の太鼓田

上の写真、手前に石垣が見えますよね? そしてその石垣で作られた平地の先に一段高くなっている場所があります。 そしてその中心(低木が見える辺り)がまた一段高くなっており、ここを中心に扇状に棚田が広がっています。

なぜわざわざこのような形になっているのか?

まだ幼かった安徳帝。 真ん中で侍女がお相手し、その様子を田植えなどしながらどこからでも見えるようにしたためと言われています。 そしてこの場所は ”皇宮の太鼓田たいこだ” と呼ばれています。

安徳帝のあどけないお姿に目を細めながら田植えをする大人たちの光景が目に浮かびます。

刀掛けの松

祖谷の観光サイト/安徳帝刀掛けの松

西日本第二の高峰 ”剣山つるぎさん” はそのなだらかな頂上に”平家の馬場”と呼ばれる草原が広がっています。 平家の落人たちが馬の訓練をしていたと言われているところです。

そしてそこで訓練の様子などご覧になった安徳天皇。 輿に乗って下山されます。 その途中、大きな松の木の辺りで休息をとられました。

その際、安徳帝の御剣を奉持している従者の姿が安徳帝の目にとまります。 汗だくの顔を拭うこともなく、威儀を正してじっと立っているのです。 

その姿をご覧になった安徳帝がお声掛けします。「剣を松の枝に掛けよ」。

しかし従者は意味が呑み込めず、ためらいながらたたずみます。

「剣を掛けてその汗を拭え」。 安徳帝は再び声をかけられます。 従者は恐縮しながらもご命令に従ったそうです。

この松はそんないわれがあるところ。 倒れてしまった現在も ”刀掛けの松” と呼ばれ、安徳帝のお優しいお人柄を偲ぶ木として大切に保護されています。

その他

以上、安徳天皇のかわいらしいエピソードでした。 他に、かなお石などまだ逸話はありますが、あいにく場所が特定できておりません。 特定できたらまた追加したいと思っています。

安徳帝はその後、若くしてご逝去され、栗枝渡の地でご火葬されます。 その400年ほど後、お骨は西祖谷は重末集落の八幡神社の移設され今日に至ります。

最後に補足です。 本日の記事の殆どは森本徳先生著 ”祖谷の語りべ”(祖谷観光開発有限会社)から引用しています。 こんな素晴らしい書籍を残してくださった先生に感謝です。 もう販売されていませんが、興味のある方はこちらこちらから中古品を購入できるかも知れません。

またここに記載した安徳帝のエピソードは東祖谷歴史民俗資料館のパネルでも詳しく見ることができます。 同資料館にお越しの際は是非注意してお探しください。

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