先週の西祖谷編に引き続き、車の窓からの風景後編:東祖谷編をお送りします。
”うんちく集” としてまとめておりますので、移動中の車の中で盛り上がってください。
- 東祖谷の入り口では虹も歓迎してくれる(ことがある)(栗寄の大カーブ)
- 祖谷では崖はどこも美しい(高野の自然林)
- 祖谷ではミツマタは貴重な現金収入源だった(高野のミツマタ畑)
- 祖谷では見えないところに集落がある(今井橋)
- 祖谷では見えないところで仕事をしている人もいる(釣井集落対岸)
- 祖谷の人は絶景とともに暮らしている(龍宮崖公園)
- 祖谷では地すべり跡も美しい(大西のザレ)
- 祖谷にはわざわざ違う集落の名をつけているトンネルがある(京上トンネル)
- 山の上の京はいまも東祖谷の中心地である(京上集落)
- 祖谷には天皇という名がつく場所がある(天皇森)
- 祖谷の学校はアメリカ人がプロディースしている(東祖谷小中学校)
- 昔栄えた集落の道幅は狭い(落合集落下条)
- 祖谷では対向車に注意して走ってはいけない?(祖谷の信号)
- 落合集落はスポットライトを浴びて突然登場する(久保ガソリンスタンド上)
- 奥祖谷でも虹で迎えてくれる場所がある(虹の谷)
- 奥祖谷には札幌大通り公園を彷彿させる堰堤群がある(菅生大橋)
- 奥祖谷には後世に残したい治山60選に選ばれた堰堤群もある(平谷の治山堰堤群)
- 祖谷の杉林の中には廃墟がある(かかしの里入り口あたり)
- かかしは鳥除けが目的だった(かかしの里)
東祖谷の入り口では虹も歓迎してくれる(ことがある)(栗寄の大カーブ)

祖谷のかずら橋を越えて県道32号線を奥祖谷方面に進むと、右に大きく90度カーブする場所に出ます。 ここは栗寄と言って、東祖谷の入り口に当たるところです。
私はここを ”栗寄の大カーブ” と呼んでいます。 掘れば掘るほど色んなブログネタが出てくる金鉱脈のようなところです。
が、その詳細はこちらに委ねるとして、とりあえず本日は、この場所で虹が見られる場合があることだけを紹介しておきます。
上の写真の下側、左手前から右に向かって道路があるのが見えますか? これが90度曲がっている大カーブです。
そして進行方向上空。 きれいな虹がかかっています。 ここは西祖谷と東祖谷の境界。 まるで虹が東祖谷へのお越しを歓迎してくれているようです。 あるいは東祖谷からの帰りであれば別れを惜しんでくれているようです。
このカーブは北東から南東に曲がる場所。 ちょうど背後から西日が差し込むので、雨上がりの午後に虹が出る場合があるのです。 ちょっと気を付けて空も見上げてください。
ちなみに数km下流からこの辺りは猿のテリトリーでもあります。 野生の猿に出合えるかも知れません。 猿にも注意して外を眺めてみてください。
祖谷では崖はどこも美しい(高野の自然林)

ダムを過ぎるとすぐに対岸に注目ください。 自然林がたくさんあることがわかると思います。 この場所は、新緑、紅葉、雪景色*とほぼフルシーズン私たちの目を楽しませてくれるところです。
*雪を葉の上に残してくれるからでしょうか。針葉樹より広葉樹の方が雪景色も美しいのです。
祖谷は杉だらけ。 ”杉を植えておくと将来は左うちわ” と言う都市伝説(祖谷は都市ではありませんが)を誰もが信じた結果です。 地主さん達はありとあらゆる場所に杉を植えました。 しかしこの対岸は例外です。 なぜか? 崖だからです。
至る所に杉を植えた地主さん達も、さすがに崖には植えられなかったようです。 そして、そんな場所には今もきれいな自然林が残っています。
祖谷は渓谷の美しいところ。 渓谷は崖。 崖には杉は植えられない。 だから自然林が残る。 そして崖と調和して美しい景観を作ってくれるのです。
と言うことで、祖谷では崖はどこも美しいのです。
祖谷ではミツマタは貴重な現金収入源だった(高野のミツマタ畑)

対岸の高野の自然林を楽しんでいると突然写真のような景色が現れます。 ミツマタ畑です。
昔の祖谷では自給自足が原則でした。 自給自足には現金は必要ありません。
が、全くいらなかった訳ではありません。 例えば、塩。 さすがに塩は自分で作れません。 塩を買うのに現金が必要だったのです。
現金収入源として祖谷で最も盛んだったのは葉タバコの栽培です。 西阿波は葉タバコの一大産地だったんですよ。
しかし葉タバコには広い農地が必要です。 貧乏農家には作れません。 そこで広まったのがミツマタ栽培です。
ミツマタ、ご存じですか? 和紙や紙幣の原料になる植物です。
そして簡単に育てることもできます。 と言うか、森林を伐採して放置するとまず最初に生えてきます。 山さえあれば誰でも育てられたのでしょうか。 その栽培が盛んになり、祖谷の人の貴重な現金の収入源となりました。
今はミツマタで生計を立てている人はいませんが、文化として残そうと頑張っておられるのでしょうか。 この場所の対岸にミツマタ畑が広がっています。
祖谷では見えないところに集落がある(今井橋)

ミツマタ畑を過ぎても祖谷川から目を離さず進んでください。 写真のような吊り橋が見えてきます。 更に行くと橋がある辺りに ”今井橋” という停留所が見えてきます。 そう、この橋は今井橋と言います。
しかしなぜこんなところに橋と停留所があるのでしょう?
対岸の山の上に集落があるからです。 でも見えません。 祖谷では見えないところにたくさん集落が存在するんですよ。
祖谷では見えないところで仕事をしている人もいる(釣井集落対岸)

今井橋を過ぎるとトンネルがあります。 そのあと橋を2つ渡って右折することになります。
その辺りから対岸を見てください。 ここにも釣井という集落があります。
釣井は祖谷で最も古い古民家があったり、祖谷にインバウンドブームを引き起こした(と私が思っている)アレックス・カーという人が住み始めたり、大変伝統のある集落なのですよ。 でもやはりここも見えません。
まぁ、それはさておいて、この辺りに上記写真の看板があります。 下で人が仕事をしているんです。
そうとも知らず、空き缶などを投げる人がいるようです。 作業している人のヘルメットを直撃したりします。 それがビンだったりしたら大変です。 人命に関わります。
祖谷では見えないところで仕事をしている人もいます。 皆さん、決してものは投げないでくださいね。
※ と言うか、そもそも論として、ごみを投げるのはダメですが。。。
ちなみに、祖谷街道と呼ばれるこの道は、昔は山側を削って作られていました。 が、今は川側を広げます。 下からコンクリートを固めて上がって来るのです。 工法が進化して、この方がコスパがよくなったのでしょうか。
祖谷の人は絶景とともに暮らしている(龍宮崖公園)

更に崖が続きます。 ここは龍宮崖というところです。 やはり自然林がたくさん残っています。 紅葉シーズンには結構観光客が訪れます。 特に ”龍宮橋” と呼ばれる橋の上から見る景色は絶景です。
しかしこの橋、観光客のために作ったものではありません。 昔からこの辺りには橋がありました。 大昔はかずら橋でした。 橋が必要だったのです。
と言うのは、対岸を上ったところに ”元井” という集落があります。 しかしやはり見えません。 崖の上にあるからです。
元井集落の人たちは、この絶景を毎日見ながら、ここの橋を渡っていんですね。 贅沢なことですね。
※龍宮崖公園の詳細を知りたい方はこちら。
祖谷では地すべり跡も美しい(大西のザレ)

龍宮崖を過ぎて数分行くと赤い橋を渡ります。 上記写真はその橋の上から撮ったものです。 遠い先にも別の赤い橋が見えます。 そして手前には自然林が広がっています。
そしてここは崖ではありません。 でも自然林が残っています。 なぜでしょう?
ここは ”大西のザレ”。 大西とは集落名、ザレとは ”地すべりしたところ” と言う意味です。
約60年前、大変大きな地すべりがありました。 上記写真の左側斜面です。 地すべりは遠い先の赤い橋の辺りまで、300mに渡って発生しました。 そして今もまだ部分的に続いています。
崖には杉を植えなかった地主さん。 地すべり地帯にも植えませんでした。 地すべりで流されたのかも知れません。
かくして、祖谷では地すべり地帯でも自然林を愛でることができるようになりました。
祖谷にはわざわざ違う集落の名をつけているトンネルがある(京上トンネル)

大西のザレを進むとすぐに京上トンネルに当たります。 先ほど先の方に見えていた赤い橋とほぼ平行に作られているトンネルです。
そしてこのトンネル、東西祖谷で一番長いトンネルです。 1023mあります。 大変お金がかかっています。 なぜそんなトンネルを作ったか?
もともと幹線は赤い橋を渡って対岸を通るようになっていました。 しかしそこには、若林、京上と言った大きな集落があり、道の拡幅工事が困難でした。 なので対岸をくり抜いて道を作ったのです。
しかしここは麦生土と言う集落。 そしてトンネルの途中で若林という集落に変わります。 しかし名前は京上トンネル。 トンネルを出た少し先の集落名が使われています。 なぜでしょう?
京上は東祖谷の中心集落。 しかしその中を通さず、対岸に幹線を通しました。 そのお詫びでしょうか? それとも敬意?
理由は定かではありませんが、とにかくこのトンネルには京上という冠がつけられ、ご丁寧にモミジの模様まで3つ添えられています。
山の上の京はいまも東祖谷の中心地である(京上集落)

京上トンネルを越えてしばらく行くと対岸に京上集落が見えてきます。 更に行くと旧道と合流します。 上の写真の辺りです。 ここは東祖谷唯一の複合施設。 歴史民俗資料館、診療所、ホール、デイサービスなどの福祉施設が備わっています。
他にもこの集落には、市役所の支所、郵便局、歯科診療所、ガソリンスタンド、雑貨店、旅館、食堂などが揃い、東祖谷の中心集落として大切な役割を担っています。
京上とは ”山の上の京”。 平家と共に落ちて来られ、寂しい生活を送る幼い安徳天皇を、少しでもお慰めしようとつけられた名前と言われています。
そうなんです。 ここは安徳帝の宮殿が最初に建てられた集落と言われており、今も東祖谷の中心的な役割を担っている場所なのです。
祖谷には天皇という名がつく場所がある(天皇森)

歴史民俗資料館を越えたら、道の右側を注視しながら走ってください。 写真の停留所が見えると思います。
ここは ”天皇森”、安徳天皇の宮殿があったところと言われるところです。
今は跡形もなく、唯一停留所にのみその名を留めます。
近くには ”宇治川” という姓の家もあります。 安徳帝のお世話役だった宇治川家。 京都の宇治川にちなんでこの姓を頂いたと言われています。
京上集落には安徳帝ゆかりの逸話が色々残っています。
祖谷の学校はアメリカ人がプロディースしている(東祖谷小中学校)

天皇森から更に上流に進むと左カーブの先に上のような光景が見えてきます。 ここは東祖谷で唯一の小中学校です。 私の母校でもあります。
この学校よく見てください。 木造建築です。 釣井集落でも紹介したアレックス・カー氏がプロデュースしました。
アメリカ人のカー氏は、日本中を旅行して祖谷を気に入り、54年前の1971年から釣井に住み始めました。 その後、”Lost Japan(美しき日本の残像)”と言う書籍で祖谷を世界中に紹介してくれたり、落合集落の古民家改修を提案したり、大変祖谷に貢献してくれた人なんですよ。
学校の上にはその落合集落も見えています。 是非ご確認ください。 落合集落展望所に行く際は、この学校の脇を上っていきます。
昔栄えた集落の道幅は狭い(落合集落下条)

学校を過ぎて更に進むとこのような光景に出合います。 落合集落下条です。 一般に落合集落というと傾斜地集落を指しますが、それは厳密には落合集落上条、そして幹線道路沿いの上記密集地は落合集落下条です。
落合は京上集落の次に大きな集落です。 かつては、病院、交番、学校、旅館など、様々な公共施設がありました。 現在も郵便局があります。
なので、幹線道路の両側に家が立ち並び、拡幅工事ができないまま現在に至っています。
それは何を意味するか? 道幅が最初に作られた時から変わっていないと言うことです。
この後、他にも同様に道幅が狭い集落を通ります。 そこも同様に昔栄えた集落です。
祖谷では対向車に注意して走ってはいけない?(祖谷の信号)

落合集落下条の密集地を過ぎて1分も行かないところにこのような信号機があり、”対向車注意” が点滅している場合があります。
これは ”対向車に注意して運転してください” という意味ではありません。
”対向車が来てるので広い場所に停車して待機していてください” という意味なのです。
気づかずに突っ込むと、細くて長い道のりをバックする羽目になります。 ご注意ください。
ここから先、このような信号が何カ所かあるので、ここに限らず注意してくださいね。
落合集落はスポットライトを浴びて突然登場する(久保ガソリンスタンド上)

少し走ると左側にガソリンスタンドが見えてきます。 そこを越えた辺りから後ろを振り返ってみてください(帰りには正面に見えるので帰りでよいかも知れません)。 このような景色が目に入ると思います。
これが落合集落上条です。
これまでの道中、”この上に集落があるが見えません” という話を何回かしました。 しかし落合集落は違います。 下からでも見えるのです。 先ほど、東祖谷小中学校越しにも見えていました。
なぜか? 下から上まで傾斜が30度で一定している集落なのです。 なので下からでもよく見通せます(この話の詳細はこちら)。
そして落合集落は日当たりもよいのです。 他の場所が日陰になる中、落合集落だけいつも日が差しています。 スポットライトを浴びているようです。 どこからでもよく見える落合集落。 突然目の前にスポットライトを浴びて現れます。
なお、今回ご紹介しているルートでは、落合集落上条も落合集落展望所も対象外となっているため、うんちくは記載していません。 それは残念と言う方がいらっしゃったらこちらをどうぞ。
奥祖谷でも虹で迎えてくれる場所がある(虹の谷)

再び虹ネタです。 先ほど東祖谷の入り口で虹が迎えてくれるかも知れない話を書きました。
そちらは ”かも” でしたが、こちらは ”いつも” 見られます。
ただし、当然晴れた日限定です。 日差しが差し込まなくなる午後もダメです。 天気のよい午前中を狙ってください。
ここの虹は大変よい旅のアクセント。 なぜかわかりませんが、人間て虹を見ると幸せな気持ちになりますよね。 皆さん、大変喜ばれます。
この場所の詳細はこちらに記載していますので、更に詳細を知りたい方はどうぞ。
奥祖谷には札幌大通り公園を彷彿させる堰堤群がある(菅生大橋)

祖谷も奥に入ってくると治山堰堤が増えます。 地すべり地帯が続くので堰堤で作って防止するのです。 そんな中、結構写真映えするようなところもあります。
その一つがここです。 菅生大橋の上から見ることができます。 札幌は大通り公園にも似て、壮観です。 是非ご覧ください。
奥祖谷には後世に残したい治山60選に選ばれた堰堤群もある(平谷の治山堰堤群)

菅生大橋から更に進むとこのような堰堤群もあります。 先程とは違い堰堤一つ一つの向きや形状が異なります。 地質や地形に合わせて効果が最大になるように設計されています。 その結果、このような形になったそうです。
ここは ”平谷の治山堰堤群” と呼ばれ、後世に伝えるべき治山60選にも登録されています。 堰堤と自然の調和も見事です。
ちなみにここも71年前の1951年に大規模な地すべりが発生したところです。 大西のザレ同様、地すべり地帯だから自然林がたくさん残っているのです。
以上、平谷の堰堤群について更に知りたい方はこちらをどうぞ。
祖谷の杉林の中には廃墟がある(かかしの里入り口あたり)

かかしの里の入り口付近まで来ると対岸に写真のような光景が見えます。 ここは最近杉を伐採した場所です。 そして杉林の中から廃墟が出現しました。 先ほど祖谷は杉だらけと書きましたが、この写真が祖谷に杉が多い理由を物語っています。
すなわち祖谷では昭和30~40年代にかけて人口減少が加速しました。 たくさんの人が職を求めて町に引っ越して行ったのです。
その際、土地や畑を遊ばせておくのは勿体ない、と言うことで、たくさん杉を植えました。 土地と言う土地に片っ端から植えました。 そして年月が経ち、杉が成長して家が見えなくなります。
そろそろ金になるかなぁと思われる昨今、木を切り出す人が増えてきました。 その結果、このように杉の伐採地から廃墟が出現するのです。 庭には車も放置されています。
かかしは鳥除けが目的だった(かかしの里)

最後は ”かかしの里” です。 300体とも350体とも言われるかかしがいます。 今やここに来るために日本を訪れる欧米人さえいます。
しかし、このかかしの里、観光目的で作られた訳ではありません。 そもそもは鳥を追っ払うために作られたのです。
人形作りが趣味だったオーナー。 どうせなら人間っぽいものを作ろうということで最初に3体作りました。
するとどうでしょう。 人と勘違いし通る人が声を掛け始めます。 人口が減ってすっかり寂しくなった故郷。 かかしを一杯作ったら賑やかになると思い始め、それから地道に活動すること22年。
今ではすっかり有名な観光サイトになりました。


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